抹茶スイーツ、期限は軍用サプリ?

あらゆるお菓子を緑色に染め、甘味食材として不動の地位を築いた宇治抹茶。主産地の京都府宇治市では大勢の観光客が抹茶スイーツを食べ歩き、その人気に陰りはありません。ですがその源流ともいえる抹茶加工品は太平洋戦争前に宇治で生まれ、軍需に利用されたのだそうです。
「本府特産ノ碾茶(てんちゃ)ヲ航空、潜水艦乗員、学生ノ勉学等ノ疲労ノ回復ニ資スル目的ヲ以(もっ)テ抹茶ニ砂糖ノ如(ごと)キ甘味剤其他(そのた)ノ適量ヲ加ヘテ混和シ錠剤トナシ…」
今年設立90年を迎えた京都府茶業研究所に残る古い報告書にその名前はありました。発行は戦中の1943年。旧農林省の名を受け、茶研が抹茶加工の研究で生み出した「抹茶錠」です。
茶研は日中戦争が始まった37年、抹茶の粉を押し固めた錠剤を開発しました。湿気や熱で変質しやすい抹茶の弱点を克服し、簡単に摂取できるようにするのが主眼でした。薬用と嗜好の両面で新たな需要の創出を狙いましたが、軍はそれを兵糧に活用しました。着目したのはお茶に含まれるビタミン類やカフェインでした。
戦中の宇治茶業界は存続の危機にありました。宇治市小倉町の老舗茶商「山政小山園」会長の小山洋一さんは「お茶は『平和産業』と言われて根こそぎ軍に引っ張られ、店は開店休業状態。茶の木は引っこ抜いてイモを植えろ、という状況でした」と当時を振り返って語ってくれました。お茶の取引は厳しく統制され、抹茶は「ぜいたく品」とみなされました。
苦境の業界は抹茶がもつ覚醒作用などの効能を軍部に力説しました。43年の陸軍規制でお茶は将兵に支給される基本糧食の中に位置づけられ、空中勤務者は特別に「葉緑素食」として1日抹茶10グラム、玉露15グラムの摂取が定められました。持ち運びやすく水も使わない抹茶錠は、兵士の眠気覚ましと精神集中、それに栄養補給を図る格好のサプリメントとなりました。
しかし、当初完成した抹茶錠は苦かったそうです。食べやすくするために茶研は甘味料を加えた「糖衣抹茶錠」に改良。報告書には「一般人ノ茶ヲ愛用セザル者ニモ好評ヲ博シ」とあり、軍に1万箱を納めたとする記述が残っています。
食べる抹茶のルーツが軍用のサプリメントだったとは驚きですね。当時の「食べる抹茶」は一体どんな味だったのでしょうか…?